【No.18】カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』読了と、これから読みたい本
こんにちは。れいです。
6・3歳の二人の娘がいます。
「あたしおかあさんだから」が話題ですね。
炎上…
確かに、こんなお母さん、周りにいないなあ。
こういうお母さんいたら心配になると思う。
作者の「お疲れ様」「大変だね」の気持ちは伝わってくるのですが。
自分だったら?と考えてみて、
あたしおかあさんだから図書館行くよ
子どもの本と私の本借りるよ
あたしおかあさんだから唐揚げ作るの上手になったよ
うちの唐揚げほんとに美味しいよ
って感じかなあ。うーん普通だ。
「おかあさんだから」の枕詞はなくてもいい。
ってことは、「おかあさんだから」と思って暮らしてはいないのですね。
きっと多くの方はそうでしょう。
さて。
カズオ・イシグロ著『わたしたちが孤児だったころ』を読みました。
何とも言えない読後感です。
最後に主人公が孤児になった真相が明かされるのですが、
その現実(フィクションですが)が残酷…
2、3日、気がつくとそのことを考えていました…
酷い話だが、こういうこともあったのかもしれない。
少年時代を回想する前半は、
セピア色でノスタルジック&オリエンタル。
イシグロ氏の本は今回が初めてですが、
今まで何となく幻想的な作風の作家だと思ってたから、
そっかこういう感じか、と。
しかし大人になって探偵になった現在の、後半は、
ヴィヴィッドな感じでした。迷彩色も入ってる(戦争の時代なので)。
西欧人が統治していたきらびやかな租界の街と、
市井の中国人庶民が暮らす、「押し入れほどの大きさの家」が並ぶ狭い路地裏。
主人公が結構矛盾した性格だった。
自分が思う自分と、他人が思う自分の像にギャップがある。
思い込み?独りよがり?
孤児として生きてきて、
自分の世界を強固にしなければ生きていけなかったのかな、と。
最後のお母さんの鼻歌に涙。。。
で、次に読む本は。
カズオ・イシグロの本をもっと読みたいけど、
彼の本は読みやすく、次の展開も気になってしまって
読書にはまり込んでしまう、そんなタイプっぽい。
今はまり過ぎるのは危険なので
(娘の卒園・入学・入園に仕事。やること目白押し)、
少し読みづらいほうがいいなあ。
そうだ。
こういう時こそ、もう一度読みたいものを読めばいいんだ。
チャンドラーの、探偵フィリップ・マーロウシリーズ。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」
の人です。
最初に読んだ時、
その渇いた文体のかっこよさ、ほろ苦さにしびれました。
翻訳物ゆえ、
それと独特の感覚的な感じがなかなか慣れなかったけど、
※アメリカの小説って“イメージ”にプライオリティがある気がします
2回目は美味しいとこどりで読めるかな♪